この地区は、中世にはこの一帯を領有した牛込氏の本拠となり、その居城は現在の袋町にあった。江戸時代になると、外堀内にあった寺社がこの地へ移転し、大名や旗本、御家人などの武家屋敷が数多く建てられるようになった。

明治時代には、東京市の牛込区(現在の箪笥町地区、榎町地区、若松町地区)が誕生し区役所が現在の牛込箪笥区民センターの地に置かれた。また、神楽坂が山の手随一の繁華街として賑わうようになり、尾崎紅葉をはじめとする文化人たちの活動の場となった。現在でも、この地区には数多くの史跡が残されている。

このように古くから歴史と文化が息づく街として親しまれている箪笥地区は、近年業務地化が進み、大江戸線の開通が、一層その速度を早めている。

また、時代の変化とともに、高層マンションなどのビル化がすすみ、街並みも大きな変貌を遂げている。

当地区町会連合会は、46組織から構成されており、区内最大の組織数を誇っている。
この組織の効率的な運営を図るため6ブロック制を導入し、緊密な連携の基に地域の活性化を推進している。
地区町連会長は、現在の大崎会長で七代を数え、歴代の会長は次の通りである。

 

初代  土本 森蔵氏(矢来町) 故人
二代 庄司 竹雄氏(市谷田町) 故人
三代  中河 清一氏(神楽坂) 故人
四代  柳下 澄江氏(新小川町) 故人
五代  竹本 清一氏(神楽坂五丁目) 故人
六代  村上 富美人氏(市谷山伏町)

現在の地区町連の繁栄は、歴代の会長と、これらの会長を支えた役員の尽力なくしてはありえなかったのである。

また、当地区町連の発案による牛込三地区の「和と団結」のシンボルマークであるバッジは、全町会・自治会がこの趣旨に賛同し、町会長・自治会長が、着用している。

一方、少子・高齢化がすすむ中で、地域住民の交流が徐々に減少してきている。

そのため、町会・自治会が果たすべき役割は、地域活動の中でさらに重要になってきている。

住民が地域の中で、連帯意識の絆を深め、「牛込に住んで良かった。これからも住み続けたい」と思えるまちにするため、ボランティア精神で町連一丸となって努力をしているところである。