特色と概要

柏木地区は、新宿区の西部に位置し、南は青梅街道、東は小滝橋通り、そして西は神田川に囲まれた地域と、青梅街道の向かい側の一部を範囲とした概ね三角形をした地域である。

柏木の地名は、長元年間(1030年)の頃、この辺りに住み桜をこよなく愛した柏木右衛門の佐源頼季という人の「柏木」の名が地名の起こりとなったと伝えられている。今も円照寺の境内には右衛門の植えた何代目かの桜が「右衛門桜」としてその名残をとどめている。

大正初期までの柏木地域は、農家が点在する田畑であったが、関東大震災後、震災で焼け出された下町(本所・深川方面)の人々と、地方からの転住者が増加し急速に宅地化が進んだ。とはいえまだ川本の原(現税務署や旧淀橋中学のある一帯)や50頭もの乳牛がいたゲルンジー農園と酪農舎(現淀橋市場)など住民の憩いの場となる大きな空き地がところどころにあり、また、どの家からも富士山が望める長閑な町であった。

昭和7年に淀橋、大久保、戸塚、落合の4町が合併され豊多摩郡から東京市淀橋区となり、ゲルンジー牧場の跡地に淀橋区役所ができた。

区役所の地番は、柏木5丁目1000番であった。その後、昭和22年に四谷、牛込、淀橋の3区が統合し新宿区となり、昭和35年前後に「柏木○○町会」と呼ばれていた13町会が結束して柏木地区町会連合会が誕生した。また、昭和45年から46年にかけて、住居表示が実施され柏木の町名は、西新宿と北新宿になった。今では、柏木の名は、特別出張所と公園、マンションやアパートなどの名として残されているのみである。

現在の柏木地域は、西新宿6丁目の再開発や税務署通りの拡幅工事など、まだまだ町の景観を大きく変えようとしている。家々からは富士山の代わりに鮮やかな超高層ビルの灯が見える。このような変化の中でも柏木町会は文化・スポーツをとおして親睦を深め、また、協力して防災やリサイクル活動を行っている。今後も町の変化に負けず、一層町会の結束を強くし、若い世代や新しい住民も積極的に参加する柏木地区町会連合会に変わっていきたいと考えているのである。