榎町地区は、住宅と小規模の商工業が混在し、特に地場産業である印刷・製本業が息づき、そして歴史と文化の香りがただようまちである。まちを歩けば名所・旧跡の多さに目を見張り、由緒ある坂道をたどりふと目を遣れば昔の文豪の活躍が偲ばれる。
この地区は牛込と呼ばれている。「込」は多く集まるという意味があり、大昔この地一帯にたくさんの牛が放牧されていたので、この名が起きたという。現在でいうと、早稲田、鶴巻、山吹町付近ではないかと言われている。
赤城山麓の上野国(現在の群馬県)の大胡あたりを領有していた大胡氏が移ってこの地に住み、天文24年(1555)牛込氏を名乗った。牛込氏は小田原の北条氏に属し、牛込から日比谷辺りまでを領有し、その居城は袋町一帯の高台にあった。
天正18年(1590)の北条氏滅亡後は徳川氏にしたがい幕臣となった。牛込氏の墓は現在も宗参寺(弁天町)にある。
また、この地は多くの文化人が活躍したことで知られる。夏目漱石の誕生の地(喜久井町)、「明暗」執筆半ばで世を去った山房跡(早稲田南町・漱石山房記念館)もあり、門人も多く住むなど近代文学揺籃の地であったことが偲ばれる。
人と人のつながりがここちよい町を育む
当町会連合会は、平成8年市谷仲之町町会が加入し、現在、27町会で構成されている。四谷、箪笥町についで3番目に町会数の多いところである。
早くから街ができていたせいか、この地に長く住んでいる人の数が多く、各町会それぞれ盆踊り、お祭り、親睦旅行、防災訓練等色々な行事が大変活発に行われ、地域の結びつきが強いことが自慢である。特に夏になると、各町会ではラジオ体操がこどもたちの大きな声とともに元気よく行われている。その一方で、季節を問わず一年を通して、みんなのまちを自分達できれいにする清掃など地道な活動にも熱心に取り組んでいる。
また、町会連合会行事として、年1回研修旅行を実施して、知識や見聞を深め、町会どうしの和と団結力を高めている。さらに毎年、地区青少年育成会と協力して「のんびり歩こう会」を開催しており、すでに47回の実施を数えている。
このように、榎町地区は、歴史を大切にし誇りを持ちながら、人とのつながりを大事にし、地域の発展のため、各町会お互いに協力しながら居心地のよいまちづくりをめざしている。