第6回 ルイ王朝のフランスと日本

平成21年5月12日
新宿区町会連合会 理事 妹尾 一男

マリー・アントワネットの蒔絵のコレクションは、質量ともに欧州随一を誇るという。

「私はダイアモンドよりも漆器」という母のオーストリア女帝マリア・テレジアの愛蔵品約50点の蒔絵の小箱を相続し、それをさらに充実させた結果で螺鈿、象嵌など精妙な技術を駆使した蒔絵の逸品で、現在はルーヴルなど3つの美術館に保管されている。

ポルトガル人が1543年に渡来して以来、安土桃山時代における欧州との交易期間は意外と長い。30年以上滞在し日本語が達者なポルトガル人の宣教師もいたし、イエズス会の宣教師ルイス・フロイズが編纂した「日本史」には、朱塗りの棺や十字架など多くの宗教用具を漆で作らせたという記録がある。

秀吉が蒔絵を愛好したのは有名で、技術も高度化し、出回った品は海外にも多く流出した。

昨秋、京都国立博物館で、イギリス、フランス、ドイツ、デンマークなどのミュージアムから百数十点の出品を得て大がかりな「蒔絵」展を開催した。見事な箪笥、香棚、硯箱、香箪笥など一級品ばかりだが、それらは中世の王侯、貴族の珍重したもので、江戸時代に輸出された。

またルイ16世といえば、国家財政の苦境を改革すべく当時の有能な財政家を財務総監に登用し国庫の整理を急いだが、特権身分への課税計画が僧や貴族の反対を受け、結局175年ぶりに三部会を召集。しかし第三身分の議員が特権身分の反対を押しきり国民議会を成立させ、革命への途を開く結果となる。

王は善良で意志が弱く常に受動的であったため、なすことなく93年、断頭台に送られた。

いわば無能の王というイメージが一般には強いが、必ずしもそうではない。日本とも関係深い重要な業績を残している。

ルイ16世は1785年、太平洋と北アジア調査のため学術調査団を編成し、退役海軍軍人ラ・ペルーズに命じて、アラスカからハワイ、日本、朝鮮、沿海州、フィリッピン、マカオなどを調査させている。不幸にもこの探検隊は88年1月、南太平洋で消息を絶ってしまう。

しかし、それまでに本国に送られていた資料で、「世界周航記」4巻と「地図」が98年、共和国立印刷局で刊行された。
その地図によると『日本』と『COREE』との間の海は、『MER DU JOPON』と、はっきり印刷されている。(5月31日まで本郷の東京大学総合研究博物館で展示)