第9回 「無魂商才」

平成23年12月22日
元 南山伏町町会会長 妹尾一男

ベルギーの法学大家ド・ラヴレー邸に滞在した新渡戸稲造先生は、散歩の折ラヴレー博士に「あなたのお国の学校には宗教教育はないと、おっしゃるのですか」と驚かれ、「では、どうして道徳教育を授けるのですか」と尋ねられたが即答することができなかった。

これが端緒となって先生は英文による「武士道」を執筆、明治三十二年出版。先生三十八歳のときで日本では翌年、和訳されて出版された。

ときの第二十六代米大統領セオドール・ルーズヴェルトが、この書に深く感銘して、数十冊を購入し親族子弟、議員、秘書などに贈ったという。

日露開戦の五年前のことで日本に対する理解を大いに深め、日露戦争の戦費調達のための膨大な対米借款や、ポーツマスでの講和条約にいたる終戦処理に大きな影響を与えたのは言うまでもない。

ともかく明治維新以来、武士道を心のよりどころに、欧米先進国に追いつけ追いこせと「和魂洋才」で突っ走り、そこそこのところまでいったが、無茶な追越しを謀って、すべてを失う敗戦の憂きめをみ、武士道も大和魂も消滅した。

「このままだと今冬は一千万人の餓死者がでる」と政府が発表し、都会の大半は焼け跡ばかりで、ほとんどがホームレス以下の生活をしていた戦後の状況から脱出するためには、なりふりかまわぬ「無魂商才」より仕方なかった。
しかし、その必死の努力の結果、実質はともかく統計上は経済大国といわれるようになると困ったことが多くなってきた。

五木寛之さんが「経済はアクセル、宗教はブレーキ、政治はハンドル」とたとえているが、今やブレーキのない、ハンドルもあやしい車は、外からヒンシュクをかい、内では年少者の凶悪犯罪、エンコウなど道徳不在、教育お手上げの症状は極限に達しようとしている。

なにをおいても、みんなで真剣に道徳教育の原点を見い出す努力をし、実現にうつさないと、車はやがて大事故を起すことになるのではないか。