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南山伏町町会 妹尾一男氏のコラム

第19回 第19回 終戦前後と天皇の録音盤(3)

平成28年9月15日
元 南山伏町町会会長 妹尾一男

3月10日、4月13日、5月25日の今も記憶に残る東京大空襲のときは、いつも気象台で夜勤だった。姉たちのように焼夷弾の雨の下、逃げまわることもなかった。

仕事のあいまに様子を見に外へ出ると、火災で明るくなった夜空に超低空で飛ぶ巨大なB29が銀色に映しだされ、思わず級友と「綺麗だなァ」と話していた覚えがある。
明日に希望のもてぬ、生死も隣り合せ運次第の環境で生きていると、こんな感覚になるものか。

空襲は殆ど夜間だが、昼間ただ一機、東京あるいは関東周辺の都市への偵察機が鹿島灘から侵入してくると、空襲警報が発令になるが、多くは1、2時間で解除になった。

だが空襲警報が発令になると映画館は切符の発売停止、映写も中止、客は待つか帰るかだ。 こうなると興行形態も変わってくる。

伊勢丹の前に新宿文化という映画館があったが、波岡惣一郎がアコーデオン伴奏で「姿三四郎」を唄った後、落語、浪花節と、東京に残っていた芸人をかき集め舞台にのせていた。椅子は鉄屑回収で撤去され、コンクリの床に荒ムシロを敷きつめ、ほぼ満員の客は体育館坐りで聞きいるという有様。

田舎に身寄りのあるものは疎開したが、ないものは東京に残るより仕方なかった。
だが疎開できても必ずしも幸せではなかった。田舎に疎開した親しい級友から手紙がきた。「生意気だといって、毎日のように殴られている。早く東京に帰りたい」と。

こんなこともあった。焼け出されてか茅ヶ崎から通っていた稲葉君が、気象台に出勤するなり「オイ、これ見てくれよ」と履いていた下駄を出す。
当時は闇で手に入れた払い下げの軍靴も足に合わず重いし、暖くなってくるとズボンにゲートルを巻き、素足に下駄というのが結構多く見受けられた。

彼の示す下駄を見ると、その真ん中に直径3cmくらいの丸い穴があいている。今朝、彼が畑の中の一本道を歩いていると、前方正面の上空からグラマン(戦闘機)が急降下してきて、機銃掃射を。

思わず瞬間的に反応して、横に飛んで伏せた。そのとき下駄が脱げたが、グラマンが飛び去った後、下駄を履こうとしたらこの弾の跡、一瞬おそかったら命の無いところだった。
だが、「お前、運がよかったな」だけで、誰もさして驚かなかった。