特色と概要

区役所地区連合会は、新宿駅東口を中心に、新宿東口商店街振興組合、歌舞伎町商店街振興組合、新宿駅前商店街振興組合、新宿大通商店街振興組合の4つの振興組合によって構成されており、昼間人口と夜間人口の格差なども含めて、他の町会連合会とは違う性格を持っている。

区役所地区連合会としては、平成6年「新宿区環境都市宣言」を受け、新宿大通商店街振興組合が新宿駅を中心に「クリーンキャンペーン」を実施、以来継続して、毎月第2・第4月曜日に実施している。

また平成14年7月には、新宿区と沖縄県の後援により「沖縄エイサーまつり」を展開。

各振興組合としても、熊野神社例大祭の関連イベント(東口・駅前)、ふる里まつり(歌舞伎町)、クリスマス・イルミネーション(大通・駅前)、サンタパレード(東口)など、独自のイベントを定期的に開催している。

新宿東ロ商店街振興組合

昭和43年、それまでの親睦団体「角一南部同好会」を解散し「新宿東口商店街振興組合」を設立した。組合のエリアは西側のJR新宿駅、南の甲州街道、東の明治通り、北の新宿通りに囲まれた地域である。平成6年、戦後から不法占拠していたバラックなどを取り壊しJR新宿駅東南口広場が完成、バリアフリー問題を先取りしたエスカレーターの設置は、利便性と相俟って人々の流れをかえ、平成8年に新宿高島屋が進出したのを契機にファッションの街、グルメの街として注目をあつめ、さらに近年はブランド店の進出も多くなっている。

歌舞伎町商店街振興組合

昭和20年、町会長だった鈴木喜兵衛氏を会長とし、地主・借地人・住民等が一丸となって「復興協力会」を組織し戦後の復興に取り組む。昭和24年、「歌舞伎町振興会」が発足、歌舞伎町という町名は、菊座という歌舞伎劇場も復興計画に含まれていたことに由来する。また、この年、都電の発着所が大通りから歌舞伎町へと延長され(昭和45年廃止)、西武新宿線も高田馬場から新宿へ乗り入れた。昭和31年、協同組合組織に変更、昭和38年から現在の名称になった。

劇場・ホテル・グルメ・遊興を包括した、総合アミューズメントエリアとして日本一を誇っている。

新宿駅前商店街振興組合

昭和23年、新宿駅前地区の9商店会が参加し「新宿駅前商店会連合会」を設立、昭和40年「新宿駅前商店街振興組合」に名称を変更した。

昭和58年に「新宿モア計画」を策定、7年3期に及ぶ工事を経て平成元年にモア街の完成を見た。モア「MOA」の語源は「Mixture of age」の頭文字をとったものであり、老若男女が集う新しい街を意味している。

またモア街を都心の緑のオアシスに位置づけるため、各通りには新宿区の木「欅」を意匠を凝らして植え、どの街角に立っても「欅」が視野に入る設計になっている。

イベントの実施などは「新宿モアニ世会」が主に担当、本来の組合事業と両輪関係を築いている。

新宿大通商店街振興組合

昭和22年、当時の3つの商店会が団結し「新宿中央通り商店会」を結成した。昭和34年には地下鉄丸の内線が開通したのを機に「協同組合新宿大通商店会」を組織、昭和40年商店街振興組合法が制定されたのに併せ、名称・組織を「新宿大通商店街振興組合」へと変更した。

平成4年、新宿通りの街並みに統一感を出し明るい街作りを実現するため、第一次歩道と街路灯整備事業(新宿駅東口~明治通り)が完成、平成11年には第二次(~地下鉄丸の内線新宿御苑前駅)が完成した。

平成11年創立50周年記念誌発行。平成12年「新宿元標ここが追分」を追分交差点に設置した。